衆議院の解散があるようだ。
解散という言葉には、どこか劇的な響きがあるが、当事者にとっては必ずしもドラマではない。準備ができていようと、いまいと、タイミングは突然やってくる。
これは政治の世界に限った話ではない。
衆議院解散は、有権者にとっての強制イベントだ。
望んでいなくても、選択を迫られる。
考える時間が十分でなくても、判断しなければならない。
投資の世界にも、よく似た出来事がある。
MBO、TOB、上場廃止。
こちらの都合とは関係なく、ゲームのルールが切り替わる瞬間だ。
長期で付き合うつもりだった企業との関係が、強制的に一区切りつくこともある。
衆議院解散も、それに近い。
平時には「もう少し様子を見よう」と先送りできる判断が、
解散という合図一つで、否応なく前に出される。
ここで問われるのは、賛成か反対かという単純な話ではない。
むしろ、
自分は、何を基準に判断しているのか
という点だ。
大人になるとは、いつも最適な判断ができるようになることではない。
限られた情報と時間の中で、それでも選び、結果を引き受けることだ。
成人の日の話とも重なるが、
解散総選挙は、有権者にとっての「政治の成人式」のような側面を持つ。
誰かに委ねることもできる。
何も考えず、流れに身を任せることもできる。
それでも結果は、自分のものとして返ってくる。
市場も政治も、予告なしに動く。
だからこそ、平時に考えておくことが意味を持つ。
自分は何を重視するのか。
何を譲れて、何を譲れないのか。
衆議院解散は、ただの政治ニュースではない。
それは、私たち一人ひとりに向けられた、
「判断せよ」という静かな合図なのかもしれない。
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